2020年御翼5月号その4

         

隠れキリシタンの祈りの歌「オラショ」の原曲はグレゴリオ聖歌だと突き止めた皆川達夫氏

  NHKラジオ番組「音楽の泉」(クラシック音楽の入門番組)を一九八八年から31年間、担当した音楽学者(立教大学名誉教授)の皆川(みながわ)達夫さんが四月十九日、天に召された。92歳であった。二〇〇五年に出演したNHKテレビ番組「こころの時代」で皆川さんは以下のように語っている。
 「目に見えない神様や仏様を、彫刻により、絵を描くことによって、人間は神を見える姿に置き換えようとする。ところが、キリスト教では偶像崇拝は禁止されている。では、何をもって人は神と結びつくのであろう。それは、目で見ることではなく、神の言葉を耳で聞く。また、神への祈りを耳で聞く芸術である音楽を通して、神に祈ることを大切にしている。仏教や古代ギリシアの宗教では、美術(彫刻や絵画)が重要な宗教芸術であった。それに対して、キリスト教はまず、耳で聞く芸術―音楽が最も重要な宗教芸術として尊重され、それは中世の昔から今日に至るまでキリスト教は連綿として素晴らしい宗教音楽を創り出して行く。その理由はそこにあった。(音楽は)人の心を結ぶ最高のものなのだ。最高の贈り物を、人類は神から贈られている。だから私は音楽をやめられません」と皆川さんは語った。
 そして、長崎県平戸市・生(いき)月島(つきしま)で隠れキリシタンによって口伝えで受け継がれてきた祈りの歌「オラショ」は、ラテン語の聖歌であることを明らかにしたのは、皆川達夫さんなのだ。それまでは、隠れキリシタンの末裔も、ラテン語の部分は「唐言葉(中国語)」だと思っていたという。
 一九七五年頃、合唱の指導で訪れた長崎で、歌オラショと出会う。四百年以上前から歌い継がれてきた歌オラショが、古いラテン語の聖歌ではないかと気づいた皆川さんは、その原曲が16世紀、スペインのある地方で歌われていたグレゴリオ聖歌であることを突き止めた。皆川さんは何度も生月島を訪れ、御詠歌(ごえいか)(仏教の教えを「五・七・五・七・七」の和歌にして一般の人々に伝えられたもの。独特な旋律がある)のように聞こえるオラショを集落ごとに録音して、原曲を探そうとヨーロッパ中の図書館を探し回った。バチカン図書館にも日参したが見つからず、スペインで七年目に見つかった。それは、スペイン・ポルトガルだけの聖歌で、同じラテン語でもスペイン・ポルトガル語訛りの聖歌だった。隠れキリシタンが今でも唱えているラテン語は、スペイン・ポルトガル語訛(なま)りのものだという。
 これほどまでオラショを調査研究した理由の一つは、皆川さんの家系は水戸藩であり、水戸藩は過酷なキリシタン弾圧していたからだという。「自分の先祖の罪と、自分がもしその時代に生まれていたら、同じようにキリシタンを弾圧したかもしれない。そういうことを感じて、一種の贖罪(しょくざい)の意識が自分をあそこまで駆り立てた原動力になっていると思う」と皆川さんは語った。
 皆川さんは、中学生の頃から、中古レコード店で聴いたグレゴリオ聖歌に関心があった。生月島に誘われたのも偶然だった。しかし、すべては偶然のようだけれども、実は大きな必然の流れの上に、即ち、自分が大きな御手の上に歩かせていただいたと感じた。「結局、今あるということが、すべて必然の流れの上に立って、自分が生かさせて頂いているということに気が付き、洗礼を受けるのは当然だと思ったわけです」と皆川さんは言う(カトリックの洗礼を受けたのは60歳を過ぎてからだった)。
 「音楽というものは、人間がする行為です。だけど、例えば倍音とか、音の数の比率などから考えても、これは人間が作ったものではないわけです。もう、自(おの)ずからある、宇宙の調和ですね。(音楽は)線香花火のようにもろいにもかかわらず、人の心を救うということは、人間業(わざ)ではないわけです。それを実感できるようになりました」と皆川さんは語った。
 皆川さんは、今年3月29日放送の「音楽の泉」の司会をしたのが最後で、年齢を理由に引退の挨拶をされた。その約20日後に、皆川さんは天に召された。皆川さんは生涯、神の御手の中で導かれ、使命を果たすために生かされていることを知り、受洗したのだった。日本を代表する音楽史家が、イエス様を救い主として受け入れたことは、日本の喜びであり、誇りである。


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